金山寺味噌の材料などとして古くから栽培されながら、生産が途絶えかけていた紀州伝統野菜「湯浅なす」の復活に、「和歌山湯浅なす推進研究会」が取り組んでいる。流通大手のイオンも活動を支援し、同社が小中学生を対象に環境体験活動を行っている「イオンチアーズクラブ」と地元の子どもたちが収穫などを体験。伝統野菜に親しむ次世代を広げている。
「湯浅なす」は江戸時代に生産が始まったとされる湯浅町固有の丸ナスで、水分が少なくて甘いのが特徴。昔から金山寺味噌の具に欠かせない材料として、大正時代には県のナス生産量の約10%を占めたが、流通販路の減少や金山寺味噌を作る人が少なくなったことなどから生産農家が減り、絶滅の危機にあった。
平成23年9月、町と町商工会、湯浅なす勉強会、湯味会(丸新本家、垣内味噌店、あみ清)、蒸しっ子なす生産グループ、イオンリテールの6団体が同研究会を設立し、「湯浅なす」の栽培や消費拡大、金山寺味噌の食文化継承などに取り組んでいる。
同研究会事務局で、明治14年から金山寺味噌などを製造販売する丸新本家の新古敏朗社長は「実がしっかりしていてつぶれにくいので、古くから金山寺味噌の具材や郷土食として食べられてきたが、気が付けば市場から姿を消していた」と振り返る。
「地元の大事な食材がこのままでは消えてしまう」と強い危機感を持ち、復活に向けた活動を始め、町役場や商工会の他、県農業試験場、東京農工大学などの研究機関にも足を運んで「湯浅なす」の情報収集と発信に努めた。
活動を続ける中で、町内の大半の農家は春にイチゴ、冬にミカンを栽培していることから、「端境期の7~9月に湯浅なすを作れば年間を通して農家の収入が安定し、まちおこしにもつながると気が付き発奮した」という。現在は、同町や有田川町の契約農家10軒が「湯浅なす」を栽培し、年間10㌧以上の収穫が見込めるようになった。昨年からは、湯浅町のふるさと納税の「返礼品」にも採用されている。
子どもたちの体験活動は今月12日に行われ、「湯浅なすの収穫&金山寺味噌づくり体験」として、町立山田小学校(林典男校長)の児童4人とイオンチアーズクラブの小中学生約30人が参加した。
児童らは、同町山田にある農業・西谷洋子さん(71)の畑で「湯浅なす」を収穫した。同クラブの子どもたちは初めて見る巨大な湯浅なすに歓声を上げて収穫に熱中。山田小1年の武内佑吾くん(7)は「ぼくらは学校でも栽培しているけど、生でかじるとリンゴの味がするよ」と話していた。
収穫後は、丸新本家で湯浅なす、ショウガ、ウリなどを使った金山寺味噌づくりに挑戦。大阪からの参加者は「生で食べる味噌は知らなかった」などと感想を話した。また、昔ながらのしょうゆ蔵の見学もあった。
同研究会は「目指すは京都の賀茂なすや大阪の水なすに並ぶ高い知名度。紀の国わかやま国体を機に、全国のファンを増やしたい」と意気込んでいる。「湯浅なす」は、同町の産直市場、古吉青果、丸新本家や阪南エリアのイオン3店で今月まで販売している。