天皇陛下が即位され、令和の時代が始まって1カ月――。日本ボーイスカウト和歌山連盟長の山本一郎さん(83)=和歌山県和歌山市=は、1982年(昭和57)に初めてボーイスカウトの活動を陛下にご案内して以来、30年以上にわたり出会いを重ねており、即位後もボーイスカウト運動に関わり続けたいと希望される陛下に、深い敬意を抱いている。山本さんに皇室とボーイスカウトの関わり、陛下との思い出を聞いた。
昭和天皇から称賛 パウエル卿の感激
ボーイスカウトと皇室の関係は古く、昭和天皇が皇太子時代の1921年(大正10)、イギリス訪問の際にスカウト運動の創始者ベーデン・パウエル卿と会見し、エジンバラ市でスカウトの集会に出席した。昭和天皇はスカウト運動への称賛と日本での発展に協力したいとの希望を示し、感激したパウエル卿からボーイスカウトの最高功労章「シルバー・ウルフ章」が東洋で初めて贈られている。
山本さんは49年(昭和24)、戦後の1期生として海草第一少年隊に入隊して以来70年間、ボーイスカウト運動に取り組み続け、県内の中心者としてだけでなく、日本連盟でも副連盟長などの要職を歴任。現在も日本連盟顧問などを務め、後進の育成に尽力している。
キャンプ案内役に 南蔵王での出会い
天皇陛下との初めての出会いは82年8月、4年に1回のボーイスカウトの国内最大行事、宮城県の南蔵王で開かれた「第8回日本ジャンボリー」でのこと。56年の第1回から78年の第7回まで上皇さま(当時は皇太子)が出席され、第8回からは天皇陛下(当時は浩宮さま)が引き継がれ、昨年の第17回まで連続して出席されている。
山本さんが務めたのはキャンプの案内役。当時46歳で、前年に和歌山連盟理事長に全国最年少で就任したばかり。地区キャンプの責任者13人の中で陛下と最も年齢が近いことから白羽の矢が立った。
相手の地位や立場に関係なく、初対面から誰とでもオープンに話をすることで知られていた山本さんだが、陛下には何を話したらいいのか「初めて頭の中が真っ白になった」。直前に雨が降り、陛下が履かれていた長靴の話題から何とか会話が始まり、案内は約1時間に及んだ。
陛下はテントでの宿泊を希望され、共にキャンプをするスカウトの代表を各地区から選考。近畿ブロックの面接は山本さんが担当し、その時選んだ青年は後に、陛下と皇后雅子さまの結婚式にも招待されたという。
10年後、山本さんが再び陛下にお会いした際、「あの時は楽しい話を長い時間聞かせていただきました」と言葉を掛けられた。「数え切れないほど多くの方に会われているのに、10年前のことをはっきり覚えておられ、すごい方だと改めて思いました」と山本さんは振り返る。
一人ひとりに声を 富士スカウト表敬
日本のボーイスカウトの最高位「富士スカウト章」を受章したスカウトが東宮御所を表敬訪問する際にも、引率者として何度も参加。日本連盟を代表してあいさつし、皇太子時代の陛下と接した。
陛下は毎回、スカウト一人ひとりに声を掛け、全員と話をされた。「本当に子どもが好きで、ボーイスカウトを大切に思ってくださっていることが伝わってきました」。
2015年(平成27)11月には赤坂御苑での秋の園遊会に招かれた。上皇ご夫妻が前をお通りになり、紀の国わかやま国体ご出席への感謝を伝えたところ、同年夏に山口県で開かれた世界ジャンボリーについて「良かったですね」「たくさん外国の方が見えられたそうですね」などのお言葉があり、さらには、世界ジャンボリーに出席された天皇陛下、皇嗣秋篠宮さまからも声を掛けられ、感激の一日となった。
昨年、陛下が即位後も継続を検討されている公務の中に、日本ジャンボリーと富士スカウト章表敬が含まれていることが報じられた。
山本さんは「多くのご公務がある中、ありがたいこと。大変お忙しく、全ては難しいと思いますが、今後もボーイスカウトに関わっていただけたらうれしい」と話している。
第8回日本ジャンボリーで浩宮さま時代の天皇陛下(手前左)を 案内する山本さん(「スカウティング」誌提供)