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紀州の藩政に尽力 本居宣長の功績にふれる

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 前号では「松坂城跡」を取り上げた。松阪の地に生まれ、紀州藩に仕官した本居宣長は、この地において市民から厚く顕彰される存在。今週は本居宣長の功績にふれたい。

 本居宣長(1730―1801)は現在の松阪市の商家に生まれた。商いよりも書を読むことを好んだといい、行く末を案じた母の勧めで医者となり、亡くなる72歳まで町医者として生計を立てた。

 当時は解読できないといわれていた日本最古の歴史書である『古事記』の研究は30代半ばから始めたといい、医者の仕事と両立し、35年もの歳月をかけ44巻にまで及ぶ『古事記伝』を完成させた。なお『古事記伝』の題字は、宣長が仕官していた紀州藩10代藩主の徳川治宝(はるとみ)から与えられている。

 紀州藩との関わりは天明7年(1787)、宣長によるこれまでの国学に関する研究を通して明らかとした、藩政の心得について述べた『玉くしげ』や政治の根本となるべき道について述べた『玉くしげ別巻』を、当時の紀州藩第9代藩主であった徳川治貞(はるさだ)に献上したのが始まり。寛政4年(1792)に紀州藩に仕官し、寛政6年(1794)には和歌山城や吹上御殿(現在の吹上2丁目付近の徳川吉宗生誕地)で講義を行っている。前々号で紹介した高見峠(和歌山街道)の詩は、その際、和歌山城へ向かう道中に詠まれたものだ。

 紀州藩に仕官したとはいえ、宣長の生活の基盤は松阪にあり続け、亡くなった後は松坂城跡近くの神社に祀られている。宣長の学問への懸命な姿勢と功績にあやかろうと、地元では合格祈願に訪れる人も多い。紀州藩の藩政に尽力した宣長の功績に、私たち和歌山県民もふれてみてはどうだろう。  (次田尚弘/三重)

本居宣長を祭る神社(松阪市)

本居宣長を祭る神社(松阪市)


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