和歌山市消防局の林正義局長(60)が31日に退任する。平成23年4月の局長就任の前後には、東日本大震災や紀伊半島豪雨など大災害が発生。組織幹部として、日々救援の対応を迫られる緊迫した状況を経験した。林局長に4年間を振り返ってもらった。
局長就任1カ月前の同年3月11日、東日本大震災が発生。当時総務部長だった林局長は、県下17本部から隊員を派遣してもらい救援部隊を編成。事務方で陣頭指揮を執った。第一陣は12日に出発し、宮城県の石巻市や女川町に入ったが、和歌山とは気候が全く違う地域での活動は困難を極めた。タイヤチェーンは持参したが、ノーマルタイヤで出動。現地では、まだ30㌢の積雪があり、足止めされることも多々あった。石油ストーブの灯油調達も困難をきたすなど、後方支援の対応も苦労が絶えなかった。
冷え込んだ現地では低体温症で多数の人が亡くなったことから、同消防局が3月11日に行う訓練では、倒壊家屋などから救出された被災者に、温めたペットボトルで暖を取る訓練などを取り入れた。
局長就任後に発生した紀伊半島大水害では、派遣部隊が孤立集落を発見。現地の消防本部も把握していない状況だったことから、「災害時の情報把握がいかに難しいかが分かった」と振り返る。
自身も平成7年の阪神淡路大震災時、救援部隊の隊長として神戸市長田区で活動。最初は点でしかなかった火災は、その後すぐに広がり、一帯を焼き尽くした。倒壊家屋の下敷きになり逃げ遅れた人に手を合わす被災者の姿は記憶から離れない。「当時は救命が優先されたが、先に消火活動に集中していれば助かった命もあった。その後は、消防庁も消火活動優先の方針を示している」とし、「阪神淡路大震災の現場を知る人間も年々少なくなってきているので、当時の震災の教訓を次の世代に伝えていきたい」と、今後も消防への貢献に意欲を示している。