文豪・夏目漱石(本名・金之助、1867~1916)の直筆の手紙と未発表の俳句が、和歌山市の猪飼(いかい)弘直さん(86)の自宅で見つかった。弘直さんの祖父、健彦(たけひこ)さん(1868~1944)は教師で、小説『坊ちゃん』の舞台になった愛媛県尋常中学校(現=松山東高校)で漱石と教壇に立った同僚関係。漱石が熊本県の第五高校(現=熊本大学)に赴任する際、健彦さんに宛てた手紙で、俳句も同封されていた。
漱石が熊本に行く明治29年、健彦さんも和歌山に赴任することに。別れのあいさつをするために尋常中に漱石を訪ねたが不在で会うことはできず、寮の宿直に漱石宛ての手紙を預けた。見つかった手紙はその手紙に対しての返信だ。
漱石の手紙(縦約15㌢×横約50㌢)には、不在だったことを謝り、「永く筐底(きょうてい)に蔵して君の記念に可致(いたすべく)」として、文末に「花の朝歌よむ人の 便り哉(かな)」の俳句を添えている。
漱石の研究者で国文学研究資料館(東京)の野網摩利子助教は、手紙の筆跡を漱石のものと鑑定した。また同封されていた2本の短冊(縦約35㌢×横約6㌢)のうちの1句「死にもせで 西へ行くなり 花曇」と、文末に添えられた俳句は未発表の作品という。
手紙と俳句は掛け軸に貼られた状態で保管されていた。健彦さんが明治30年に掛け軸に表装したとされている。弘直さんの長女で、大阪府阪南市在住の松田智子さん(55)が、先月、実家を片付けている際、押し入れにあるのを見つけた。
10日、松田さんは県庁で記者会見を開き、漱石の手紙と俳句を発表。松田さんによると、健彦さんは漱石との交友関係は一切家族に話したことはなく、口数の少ない堅実な人だったという。明治32年に熊本の漱石から届いた年賀状も出てきており、赴任後も交友があったことがうかがえる。
弘直さんは「祖父の形見で、祖父との思い出として家でとっておきたいが荷が重い」と話す。松田さんは「とても家では保存も保管もできない。大切な文化財だと思うので、世の中の皆さんに見ていただいた方がいいと思う」として、和歌山市吹上の県立博物館への寄贈を検討している。
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漱石研究者で「和歌山漱石の会」会員の梶川哲司さん(62) 漱石は和歌山市での講演や和歌浦訪問など、和歌山とも結び付きが深く、今回新たなつながりを示す資料が市内で見つかったことは大きな驚き。交際範囲が比較的狭く、人の好き嫌いもはっきりしていたとされる漱石だが、資料からは相手への好意や敬いの気持ちがうかがえ、人柄が伝わる貴重な資料。漱石の教職生活を研究する上でも興味深い。
見つかった漱石直筆の手紙