ことし、日本とトルコの新しい友情の1ページが刻まれた。
トルコとの友情の原点は串本町にある。皇帝から明治天皇への親書を携えたトルコ軍艦エルトゥールル号が、明治23年9月16日その帰路に台風に遭遇し、大島沖で座礁沈没し69名が救出されたものの、587名が死亡・行方不明になるという大惨事となった。
豊かとは言えない現地の人々は献身的に救援にあたり、食料、衣料品も提供するなどした。この時の対応がトルコ国民の心を強く打ち、友好関係の幕開けとなった。
それから100年近く経った昭和60年。イラン・イラク戦争のさなか、イランのテヘランには取り残された200名以上の日本人がいたが、当時は自衛隊を海外派遣できず、政府専用機もなく、民間機は危険地帯へ赴くことを拒否していた。トルコ政府が「エルトゥールル号事件の恩返し」ということで、急きょトルコ航空機2機を派遣してくれ、日本人は無事脱出することができた。これが友好の歴史の第二幕である。
そしてことし5月。安倍総理はトルコを訪問、私も同行した。直前には五輪招致で競う東京都知事がイスタンブールを中傷する失言もあり、緊迫した雰囲気の中の訪問だった。しかし安倍総理とエルドアン首相は胸襟を開いた首脳会談で信頼関係を築き、安倍総理は「5つの輪をイスタンブールが射止めたら私は世界中の誰よりも先に『イスタンブールよ、万歳!』と叫びます。もし東京が射止めたらトルコの皆さん『東京よ、おめでとう!』と言ってください」とスピーチし、万雷の拍手喝采を浴びた。
そして9月8日ブエノスアイレスでのIOC総会で東京が開催地に決まった直後に、敗れたイスタンブール代表団の席にいたエルドアン首相は安倍総理に歩み寄り、「おめでとう!」と抱擁してきた。まさにエルドアン首相が「男の約束」を果たしてくれた瞬間であった。
5月のトルコ訪問時に、安倍総理はエルドアン首相から10月のボスポラス海峡をつなぐ地下鉄の開通式に出席してテープカットをしてほしいとの要請を受けていた。地下鉄は日本のODA資金と技術で可能となったもので、エルドアン首相はぜひとも日本の総理に来てもらい、日本とトルコの友情を一層深めたいとの思いがあった。
国会開会中で日程調整が難しい中、安倍総理も五輪招致に成功した日本の総理大臣が、敗れたイスタンブールを訪問し、元気づけることが新たな日本とトルコの友情につながると判断し、異例の1年に2回のトルコ訪問を決断した。
現地で安倍総理はトルコ国民から大いに歓迎を受け、実質的な主賓として開通式に出席したのである。また首脳会談では、串本町をはじめ和歌山県関係者が熱心に推進するエルトゥールル号事件の映画化について、両首脳が協力していくことも確認された。
先日東京のトルコ大使館のエルトゥールル号展を訪問した際に、展示の最後のコーナーに、IOC総会会場で抱擁する両首相の写真が大きく飾ってあった。エルトゥールル号事件を契機に始まった日本とトルコの熱い絆は、124年を経て新しい段階を迎えようとしている。