昭和20年8月6日朝、広島に投下された原爆により21歳の時に被爆した和歌山市狐島の藤本忠義さん(91)宅に1日、被爆者の証言映像を制作している公益財団法人広島平和文化センターのスタッフが訪れ、収録を行った。藤本さんは、70年を経過した今も鮮烈に記憶に残る当時の惨状を、カメラの前で語った。
和歌山市出身の藤本さんは当時、広島県安芸(あき)郡坂町(広島市から南東約5㌔)に招集され、陸軍船舶兵として、船舶の修理などの任務に就いていた。原爆が投下された当時は、朝の点呼で外にいたことから、爆発による生暖かい風と光、爆音の後に爆風を受けた。「キノコ雲が見え、当時はガスタンクか火薬庫が爆発したかと思った」と、体で感じた衝撃を振り返った。
藤本さんは原爆投下から約1週間後、救護のために爆心地の1㌔圏内に入り入市被爆した。
当時の広島市中心部の状況について藤本さんは、「川には遺体がたくさん浮かび、地面には焼けてしまって皮膚がない人などをたくさん見た」と静かな口調で語った。
同センターは、平和への思いを後世に伝える目的で広島県外の被爆者の証言も平成15年から集めており、本年度は近畿で約20人を対象に収録を行っている。藤本さんは、広島市が毎年行っている平和宣言の文言作成を目的にした、被爆体験者へのアンケート調査に協力したことがきっかけで選ばれた。完成した映像は来年4月、同センターが運営する国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で上映する他、インターネット配信も予定しているという。
同館の叶真幹館長(61)は「被爆者が語る平和に対する思いを多くの人に知ってもらいたい」と話している。