日本三大忍術伝書の一つ『正忍記(しょうにんき)』を記した紀州藩の軍学者・名取三十郎正澄(なとりさんじゅうろうまさずみ)の墓石が、和歌山市吹上の恵運寺(えいうんじ)で見つかった。長年、境内の供養塔の中で眠っていたもので、5日には名取家縁者ら立ち合いのもと、案内板の除幕式と墓石の開眼法要が行われた。山本寿法副住職(46)は「このような偉人がいたことを、和歌山や日本の皆さんに知っていただきたい。観光や活性化にも生かせられれば」と願っている。
名取三十郎正澄(生年不詳―宝永5年=1708没)は、甲州武田家に仕えた祖父、名取與市之丞正俊を流祖とする軍学流派「名取流」中興の祖。藩主徳川頼宣公の軍学指南役として仕えた。名取流は新楠流とも呼ばれ、明治維新まで伝えられた。
『正忍記』(国会図書館所蔵)は『萬川集海(ばんせんしゅうかい)』『忍秘伝』に並ぶ三大忍術伝書として名高く、日本でも多くの研究書が出されている他、英語やドイツ語、フランス語などに翻訳され、世界中で愛読されているという。
名取三十郎自身が忍びの任務を負っていたのか、流派伝承の師範として教えていただけなのかは不明だが、軍学者が忍びの術を克明に記しているのは興味深いという。
【一本の電話きっかけに】
全ての始まりは昨年4月の、一本の電話。同寺のブログに書かれた「名取家」の文字を目にした女性から「そちらに名取三十郎正澄が眠っていないか」との問い合わせがあった。 女性は『正忍記』の英語著書があるアントニー・クミンズ氏(34)の翻訳者で、山本副住職は、この時初めて名取三十郎の名を知ったという。
さっそく過去張を調べてみると、名取家の記録の中に一致するものがあり、その後、同寺を訪れたアントニー氏にも詳細を説明。さらに供養塔の中を調べていたところ、墓石と位牌が見つかった。位牌は劣化が激しかったが、墓石は、はっきりと文字が読み取れる状態だった。
同寺では約50年前に区画整理に伴う墓石移転などもあり、また、風雨にさらされる供養塔の外ではなく、中に祭られ今日まで残ったのは奇跡的だという。これには山本副住職も「偶然なのか、それとも300年後に見つけてもらえるよう、忍術をかけたのかもしれませんね」と笑顔。
名取家と同寺とのつながりについて、同寺は武田氏の軍師だったとされる山本勘助の流れをくむことから、菩提寺になったのではないかとしている。
アントニー氏は「調べれば調べるほど、教養、人格ともに優れた人物。このお寺が、忍者の聖地のようになれば」と期待し、山本副住職は「正忍記には、現代にも十分生かせる生活の知恵が詰まっています。近く『読む会』を立ち上げますので、興味のある方はぜひご参加ください」と呼び掛けている。
問い合わせは同寺(℡073・424・7633)。