前号では八十八夜にちなみ、和歌山県のお茶栽培と食文化についてご紹介した。お茶といえば茶菓子と一緒にいただくのが楽しみの一つ。静岡茶のご当地で名物の和菓子「安倍川餅(あべかわもち)」は、徳川吉宗がこよなく愛したという。今週は安倍川餅と徳川吉宗公の関係をご紹介したい。
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安倍川餅は静岡県葵区および駿河区を流れる河川の名に由来する。江戸時代初期、徳川家康公が安倍川上流にある金山の検分に訪れた際、砂金に見立てきな粉と当時は貴重であった白砂糖をまぶした餅が「安倍川の金な粉餅」として近くの茶店から献上された。献上した者の粋な計らいに感銘を受けた家康はこの餅を「安倍川餅」と命名し褒美を与えたという。
その後、東海道の街道で人気を博し販売され、参勤交代の際に通り掛かった紀州徳川家5代藩主の頃の徳川吉宗公がこれを食し、「安倍川餅は街道一の餅である」と絶賛。将軍となった後は、駿河国出身の家臣、古郡孫太夫に安倍川餅を作らせたという記録が残っている。
筆者も実際に食べてみた。現在は、小さく丸めた餅にきな粉がまぶされているものと、あんこがかけられたものの2種類がある。おはぎのような米粒の食感はなく小さなきな粉餅に過ぎないのだが、一口サイズであるために、おはぎや一般的なきな粉餅と比べ存分にきな粉と砂糖の甘みを味わえる。ご当地の砂金をイメージし、豊富に採れることを味で表現した先人の知恵だと思う。静岡へ旅行の際はぜひ一度、徳川吉宗公が愛した安倍川餅をご賞味してみてはいかがだろうか。 (次田尚弘/静岡)