平成26年春の叙勲受章者が4月29日発令された。県関係は49人(うち女性9人)で、最高齢は上富田町の深見文代さん(87)、最年少は由良町の大江和子さん(60)。今回を含めた受章者は4279人(うち女性306人)となる。5月上旬から中旬に東京(一部は県庁)で各省庁ごとに伝達された後、拝謁が行われる。
受章者は次の皆さん。
【旭日小綬章】上中節彦(73)元全国建具組合連合会会長、和歌山市田屋▽森哲男(70)元田辺市議会議員、田辺市新庄町▽吉本忠義(72)元田辺市議会議員、田辺市龍神村
【旭日双光章】市川榮一郎(73)元県エルピーガス協会会長、新宮市上本町▽勝本僖一(76)和歌山商工会議所副会頭、和歌山市松ケ丘▽木下眞人(73)元新宮市医師会会長、新宮市橋本▽谷口昇男(70)元県串本町議会議員、串本町大島▽馬場正義(70)元県身体障害者連盟副会長、和歌山市今福▽藤本弘(72)県屋外広告美術協同組合理事長、和歌山市津秦▽山下久美子(70)元岩出市議会議員、岩出市北大池
【旭日単光章】狩谷英孝(80)元県美浜町選挙管理委員会委員、美浜町大字和田▽島野勝(73)元串本町商工会会長、串本町串本
【瑞宝中綬章】熊井英水(78)近畿大学名誉教授、那智勝浦町浦神▽瀬岡彦(78)大阪市立大学名誉教授、九度山町九度山
【瑞宝小綬章】中尾憲市(75)元公立高等学校長、海南市下津野▽古谷多市(74)元公立高等学校長、和歌山市善明寺▽山下庫司(76)元県警察本部刑事部長、和歌山市東高松
【瑞宝双光章】石井清澄(70)元公立小学校長、みなべ町谷口▽奥田雅晴(70)元日本郵政公社職員、和歌山市雑賀崎▽坂口全彦(78)元公立中学校長、和歌山市加太▽佐野萬嵯義(74)元県企業局長、岩出市田▽状家伸和(64)元南海電気鉄道高野線列車区長、かつらぎ町妙寺▽瀧本楢代(70)元調停委員、和歌山市西高松▽冨長保雄(74)元有田市助役、有田市千田▽西川等(77)保護司、海南市日方▽新田賢(81)学校歯科医、海南市下津町▽南迫一男(83)元公立小学校長、橋本市隅田町▽味村孝(79)岩出市消防団団長、岩出市大町▽諸木良介(77)元県参事、和歌山市内原
【瑞宝単光章】新井弘一(69)県印南町消防団団長、印南町印南原▽井道義夫(70)元海南市消防団分団長、海南市大野中▽上垣共子(79)工業統計調査員、和歌山市納定▽榎本芳男(70)元県上富田町消防団副団長、上富田町市ノ瀬▽大江和子(60)特別養護老人ホーム「日高博愛園」介護係長、由良町大字畑▽大橋貞介(65)元田辺市消防団副団長、田辺市下屋敷町▽落合啓男(71)木工品=紀州箪笥=製造業従事者、和歌山市北出島▽亀谷サヨ子(70)元特別養護老人ホーム「国城寮」寮母長、橋本市隅田町▽木村全治(64)元県かつらぎ町消防団団長、かつらぎ町笠田中▽小林正人(64)元県日高川町美山消防団団長、日高川町皆瀬▽橘由規男(75)元県串本町消防団副団長、串本町古座▽巽芳一(66)元日本郵政公社職員、橋本市さつき台▽中村規佐子(78)元民生・児童委員、和歌山市手平▽南部文英(85)元警察庁技官、和歌山市里▽西榮造(65)元日本郵政公社職員、新宮市緑ケ丘▽深見文代(87)開業助産師、上富田町岡▽星山ひろみ(65)元県職員、湯浅町湯浅▽前田武(80)元県太地町消防団分団長、太地町森浦▽間所千惠(63)元県職員、和歌山市榎原▽三ツ橋渉(71)元県湯浅町消防団副団長、湯浅町山田
業界の課題に着手
昭和39年に家業を継いで以来、約50年にわたり業界に携わってきた。平成17~25年は全国建具組合連合会の会長を務めた。就任当時、景気の後退に加え、建具業界は生活様式の洋風化で日本古来のふすまや障子が減少、さらに、職人の高齢化が進み、後継者問題も抱えていた。「建具は住宅の付属品ではなく、自分の家に合わせて注文するのが元来の姿」と話し、「いかに建具を使ってもらうか、どう後継者を育てていくかを考えなければならない時代だった」と振り返る。
木製建具の良さを伝えるため、障子のある部屋とない部屋の違いについて専門機関に調査を依頼。夏は涼しく、冬は暖かく省エネにもつながることを実証し、業者や消費者に周知した。また、若手の技術育成にも率先して力を入れた。
職人の技の粋が集まる全国建具展示会では、ベテラン職人らが今までに数々の大臣賞を手にしてきた。「今後も建具の良さや大切さを広めていけるよう努力する」と話している。
商工業発展に尽力
平成5年に和歌山商工会議所の常議員となり、13年には副会頭に就任。和歌山の商工業発展に尽力している。「受章は地域の皆さん、支えてくれた皆さんを代表して受ける気持ち」と感謝した。
昭和38年に各種機械部品製造などを事業とするアクロナイネン㈱(本社=和歌山市西浜)の前身、和歌山内燃機工作所を発足。63年に梅干し販売業の㈱勝僖梅、平成6年に県・市と連携して重度障害者多数雇用企業のウインナック㈱を設立するなど多面的に商工業を手掛ける。副会頭に就いた頃はバブル経済崩壊による景気低迷に人口減少が重なり和歌山の活気が衰退していく中、「商工まつり」では県内会議所が団結し、県産品PRに力を入れ、県内外から多くの人を和歌山に呼び込んだ。
半世紀以上、商工業に携わり「企業は柔らかい頭で時代のものを取り入れることが大切」と話す。会議所では創業支援もしており「絶えず挑戦すること。個性を生かし、勇気を出して」とエールを送った。
出会い大切に人信じ
昭和36年4月の採用から平成11年3月の退職まで、小学校教諭3年、高校教諭27年、教頭3年、校長5年の計38年間にわたり教育の発展充実に尽力。「たくさんの出会い、人に恵まれ、とても幸せでした」と振り返る。
教諭時代は母校の大成高校で「郷土部」の顧問として、貴志川高校で「社会クラブ」を担当して生徒と共に埋蔵文化財の分布・発掘調査に参加。汗と泥まみれの体験を共有した。
粉河高校定時制教頭に昇任後は生徒が4年間の学校生活を続ける困難さに対して3年間でも卒業を可能にする改革を実施。校長では県和歌山商業で隣接する和歌山ろう学校との連携で障害のある人とない人が「共に学び共に生きる」教育を実践し、また、県高野連会長に就任して智弁和歌山の全国優勝や日高中津分校のセンバツ出場という歴史を追加した。
常に生徒や周囲を信用し、信頼が得られるよう努力。受章に「感謝感激、皆さんや妻(久代さん)ら家族のおかげ」と笑顔を見せている。
55年間、防火に精励
昭和33年1月に岩出町消防団員を拝命以後、55年にわたって業務にあたった。平成8年に同町、18年に岩出市消防団長に就任。約350人の団員の指揮を執り、出動時間の短縮や活動範囲の拡大、消火作業の効率化などを図った。
昼夜を問わず任務に身をささげ、常に車にはヘルメットや法被を積み込んで出動に備えた。山地区で早朝に発生した民家密集地での火災では的確な指令で延焼防止に努め、約3時間後に鎮火。高瀬地区で発生した同様の民家火災でも迅速な対応で約2時間半後に火を消し止めた。
行方不明者の捜索にも尽力。団員には「自分の家族だと思うように」と呼び掛け、士気を高めた。またレッドパトロールや啓発活動にも取り組み、住民の防火意識向上を図った。
「団員から若さをもらった」と振り返り、現在は健康維持に配慮。受章について「市民の方々や団員が理解、協力してくれたおかげです。ありがたく思っています」と話している。