静岡県掛川市。ここに、初代・紀伊田辺藩主であった安藤直次(あんどうなおつぐ)が治めた、遠江国掛川城がある。
安藤直次(1555―1635)は家康の側近として初期の幕政を取り仕切った。徳川頼宣付の家老に任ぜられ、駿河国の政権への参画や、大坂の陣においては年少であった頼宣に代わって軍を率いるなど徳川家と深い関係にあり、1600年から1616年まで幕府老中を務めている。1617年に遠江国掛川城主となり、1619年、頼宣が紀伊国和歌山城に移る際、紀州藩付家老として掛川を後にし、紀伊国田辺城と3万8千石の所領を与えられるなど、頼宣から厚い信任を受けたという。その後、安藤家は明治維新を迎えるまで18代に渡り、紀伊国田辺藩を治めた。
掛川城は、1854年の安政東海地震で天守を含む建物の大半が倒壊。天守は再建されずにいた。平成になった1994年、掛川市在住の個人や企業の寄付を通じ再建。秋田県産のヒバを用いた日本初の木造復元天守で、当時の図面を使い、材料や工法に沿い忠実に復元されている。一般開放されており筆者も訪れた。木造の味わいがあり、急な階段が歴史の重みを感じさせた。
周辺の市街地では景観への配慮による電柱の地中化整備など、天守の再建を機に城下町としての観光資源化も進む。奇遇にも、かつて紀伊国田辺城があったとされる田辺市上屋敷周辺の県道210号や29号でも同様の整備がされており、街の雰囲気が掛川と酷似しているように思えてならない。安藤直次によるまちづくりの共通点が、掛川と田辺にあるのかもしれない。
(次田尚弘/静岡)